【研究者インタビュー】「味わいの認知科学」× 日下部裕子さん

日下部先生修正後 (1)

日下部 裕子 氏

プロフィール 1998年,東京大学大学院農学生命科学研究科修了(農学博士) 現在は国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 食品研究部門 食品健康機能研究領域 感覚機能解析ユニット ユニット長 専門:食品機能学、分子生理学

 

 当協会のカリキュラムである『他の感覚×クロスモーダル』は、味覚とそのほかの五感の感覚についての考察がまとめられた日下部先生の著書「味わいの認知科学」をベースとしており、今回は味覚および他の感覚についての話を中心に、伺いました。

 

・所属されている「感覚機能解析ユニット」とは、どのようなところでしょうか?

日下部: 感覚機能解析ユニットでは、味、香、見た目といった感覚とおいしさの関係、おいしさと生理状態の 関係を解明することで、おいしさがどのように健康機能に関わっているのかを科学的に明らかにする研究を行っています。

 

・具体的には、どのようなことを行っているのでしょうか?

日下部:  大きく3つの研究を行っています。①味を受け取る仕組みと味の感受性、生理応答との関係解明、➁ 食品のおいしさに関する味と匂いの研究、③食に関する心理学的研究、です。中でも、私は①味を受け 取る仕組みと味の感受性、生理応答との関係解明を中心に研究を進めています。

「味」という感覚は、味覚受容体というセンサータンパク質が味物質を感知するところから始まります。受容体が受け取った味の情報は、そのまま脳まで伝わるのではなく、香りや見た目といった外的環 境、体調のような内的環境で大きく変化します。私たちは、これまで、味覚受容体がどのように味物質 と結合して味の情報を受け取るかについて研究を進めてきました。この成果を活かして、味覚受容体の 活性と実際に頭で感じる味の強さや生理応答との関係を明らかにしていきます。

paku_akjfalsdjklasadfa_TP_V

 著書「味わいの認知科学」に関して

 

・出版に至るまで、大変だったことがあればお聞かせ下さい。

日下部: この本は、企画段階から執筆活動を含め、約2年を経て出版となりました。その間、編集や構成の 方、科学系ライターの方など、多くの方のサポートを頂きました。私は研究者ですので、どうしても専 門用語を多用してしまったり、複雑な表現をしてしまったりすることが多かったように思えます。サ ポートして頂いたおかげで、より読みやすく伝わりやすい書籍へと近づくことができました。

 

・近い将来、「脂味」は“第6の味覚”に加わることになりますでしょうか?

日下部: それは難しいと思います。基本五味とは違って、脂味は、「コク」に近いものではないかと考えてい ます。コクは、広がりがあり、持続性があることの2つが条件となり、確かに味蕾に受容体があるので すが規則性を持って存在しているわけではありません。脂味も同じような感じで、広がりと持続性とい う条件をもちながら、やはり味蕾に規則性を持って存在していないので、近いうちに第6の味覚として 認定される、という可能性は低いと思います。

 

・高齢になるにつれ、何でも薄味に感じてしまうのは何故でしょうか?

日下部: 一般的には、味を感じとるセンサーの役割をする舌の表面にある味蕾の数が減少していくため、味覚 が鈍くなると言われているかと思います。この点については、データの裏付けがまだ非常に少なく「高 齢になると味蕾が減る、とは言い切れない」というのが実情です。ただ私は、それ以上に、「嗅覚」の 衰えの方が大きいのではと考えています。風邪を引くと、なんだか味を感じにくくなりますよね。「味 わい」に関して、嗅覚の役割は非常に重要なんです。

 

・味覚ではなく嗅覚で「味わっている」例を教えて下さい。

日下部: 例えば、最近発売され話題になった、コーラ風味の炭酸水。飲んでみると、確かにコーラのような味 わいがするのですが、原材料の欄には、「水、炭酸、香料」の記載のみです。砂糖すら入っていないん です。それでも、コーラのように味わえてしまうのは、香料が、その風味を演出しているからです。意 識していないと気がつかないと思うのですが、そういった商品は市場に多く見られます。

 

・味覚と嗅覚、2つを比べた場合、それぞれの特徴を一言で表すなら?

日下部: 難しい質問ですね(笑)。ただ、あえて一言で表すのであれば、「嗅覚」は意識的なもの、「味覚」は 無意識的もの、ですかね。嗅覚はそれが何かを意識的に判別し、味覚は満足感を無意識に得る。“味わう”という状況における両者の役割としては、そのようになるかと思います。 また“味わう”という状況において、(清潔を重んじる傾向のある)日本人は嗅覚、味覚、その次にくる 視覚も無視できないかもしれません。香りや味がいくら良くても、見た目の悪いものを手にしたり口に 入れるには、抵抗を感じる方が非常に多いように思います。

 

・脳内では、「美味しさ」をどのように処理しているのでしょうか。

日下部: それは、本当に難しいテーマでして、現在も様々な研究によって、少しずつ解明が進んでい る段階です。基本五味というのは、ちゃんと脳に感じる場所があります。そして最近では、味 +「おいしい」あるいは「まずい」と感じる場所が脳にありそう、といわれはじめています。 これはあくまでも私の仮説なのですが、「おいしい」「まずい」は色でいうと明度のような役 割を果たしているのではないかと思っています。基本五味が、赤、黄、青、黒、白、のような5 色だったとして、「おいしい」と色が明るくなったり、「まずい」と、暗くなる、というよう に。光と似たような、信号という形で、美味しさは味わいに影響しているのではないでしょうか。

 

・最後に、「味わい」に関わる研究で大変な点を教えて下さい。

日下部: 「味わい」には、動物的な部分と人間的な部分が入り混じっている点が、研究の魅力でもあ り、大変なところでもあります。食べられるものかを判別する動物的な感覚と、その味を過去 の記憶や思考と結びつけるような人間的な感覚。その2つが、どこで、どれくらいまで影響し あっているものなのか。さらにそこに“やみつき”みたいな要素も入ってくるとまた難しくなりま す。“やみつき”は依存症にもリンクする他からの介入ですが、これは脳の報酬系と関わってくる ので動物的な感覚にも人間的な感覚にも通ずる要素。こうした複雑な絡みあいの中からある程 度のアタリをつけて、検証を進めていくというのは大変ですね。

もう1点挙げるとすれば、ヒトからのデータを集めることです。一定数の参加者を募るための書類上の手続きであったり、環境の管理であったり。参加者全員の食べるものまでを厳密に 制限して管理するということは、非常に難しいです。こっそり何か食べてしまうと、結果に直 結してしまうことも少なくないので。ラットを用いた研究は多いのですが、ヒトのデータが少 ないのは、そのためなんです。